尼崎簡易裁判所 昭和40年(ろ)48号 判決 1968年2月29日
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は
被告人は、鹿児島県○○郡大隅町坂元三五四七番地薬丸利治が出稼中であるのを奇貨とし、同人の妻ケイ子と情交の目的で昭和三九年七月中旬頃から同年一一月二〇日頃までの間約二五回にわたり同家に侵入して同家八畳の間で情交をなし、もつて故なく人の住居に侵入したものである。
というにある。
<証拠>によれば、次のような事実が認められる。
昭和三八年一二月頃、被告人と薬丸ケイ子(昭和一二年一月一三日生)はともに工員として鹿児島県○○郡大隅町坂元所在原田澱粉工場に働いていたものであるが、同月二七日の夜同町坂元三、五九七番地被告人宅で同工場の従業員八名ぐらいが寄り集まつて忘年会が行われ、被告人も同女もその忘年会に出席した。忘年会が終り被告人は自己の運転する原動機付自転車の後部坐席に同女を乗せ同町坂元三五四七番地同女宅へ送つて行つた。その頃同女の夫薬丸利治(昭和九年七月一一日生)は、愛知県豊田市寿町二丁目一八番地株式会社大林組の工事現場へ左官として出稼ぎに行つており、同女宅は同女と長男利男(当六年)との二人暮しであつた。同女宅の間取りは土間と八畳一間であるが、被告人と同女は八畳の間で一時間ほど電気炬燵に入つて色つぽい話もおりまぜいろいろと世間話しをした。ところで被告人が一向に帰ろうとしないので同女は被告人に「今晩は帰つて下さい」というと被告人は「何時がいいか」ときいた。同女は「あさつてぐらい遊びに来なさい」と被告人に答えた。被告人は同月二九日の夜同女宅を訪れ、同女と合意のうえ初めて肉体関係を結んだ。翌三〇日夫利治は正月を自宅で過すため前記出稼先より帰つて来たが、明けて昭和三九年一月一〇日頃利治夫婦は利男を連れて前記出稼先へ戻りそこで生活を始めた。しかし、利治の仕事場の関係から同女と利男にとつては生活が不便であつたから利治のみ前記出稼先に残留し、同女は同年七月一〇日頃利男を連れて鹿児島県の同女宅へ帰つて来た。この頃から同年一一月二〇日頃まで利治は前記出稼先で働いていたものである。被告人と同女はこの間夫利治の留守中を奇貨とし、同年七月には二日又は三日おきに四回ぐらい、同年八月には下旬頃三日おきぐらいに四回ぐらい、同年九月には三日おきぐらいに一〇回ぐらい、同年一月には一週間おきぐらいに四回ぐらい、同年一一月には二〇日頃まで四回ぐらい合計約二五回同女宅八畳の間で情交をなしたものであるが、このように情交をしたいずれの場合も被告人があらかじめ同女に「今晩行く」と申向け、これに対し同女が軽くうなずくようにして承諾の意思を表示し、被告人は利男が眠つている夜の一〇時か一一時頃に同女宅を訪れ同家八畳の間で情交したものである。
以上のような事実が認められる。
ところで住居の立ち入りについて承諾をなしうる者は住居権者の夫であり、その住居権は一家の家長である夫が専有するものであるからその承諾を推測し得ない場合には承諾があつても効果がないものであり、自己の妻と姦通するために住居に立ち入ることを夫が認容する意思があるとは推測できないから姦通の目的で妻の承諾を得て住居に立ち入つた行為は住居侵入罪を構成するとするのが従来の判例態度である。
しかしながら、夫だけが住居をもつということは男女の本質的平等を保障する日本国憲法の基本原理と矛盾するし、承諾の有無に住居侵入罪についての決定的意義を認め承諾の効果にかかずらうことは妥当でない。なるほど住居者の承諾を得て平穏に住居に立ち入る行為は侵入行為とはいえない。しかしその理由は住居侵入罪の保護法益が事実上の住居の平穏であるところから住居者の承諾があれば事実上の住居の平穏が害されないと考えられるからであつて、その重点は被害者の承諾の有無ではなく事実上の住居の平穏である。
住居侵入罪の保護法益は「住居権」という法的な権利ではなく事実上の住居の平穏であるから夫の不在中に住居者である妻の承諾を得ておだやかにその住居に立ち入る行為は、たとい姦通の目的であつたとしても住居侵入罪が保護しようとする事実上の住居の平穏を害する態様での立ち入りとはいえないから住居侵入罪は成立しないと解するのが相当である。
してみれば、夫利治が前記のように出稼中である昭和三九年七月中旬頃から同年一一月二〇日頃までの間、その妻ケイ子の承諾を得て同女宅へ立ち入り同家八畳の間で同女と合意のうえ約二五回にわたり肉体関係をなした被告人の前示所為は住居侵入罪を構成しないと解すべきである。
以上の理由により、結局本件公訴事実は罪とならないので刑事訴訟法三三六条前段に則り、被告人に対し無罪の言渡しをする。(西沢豊)